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随並183 第二末法における少数正論差別依存症の発症と流行
多数決・代理権(特権)といったものは時間的な関係です。

 たとえとしては何ですが、某国の某政党の場合、
 5年に一度全国代表大会(n全大会)があり、
 1年に一度その代理代表からなる中央委員会全体会議(n中全会)があり、
 1か月に一度その代理代表からなる中央政治局会議があり、
 1週間に一度その代理代表からなる中央政治局常務委員会があります。
 各代理代表部門は事後でチェックされます。

 日本の場合、だいたいウェストミンタ―ですので、
 国民投票で憲法を制定し、
 その代理代表による国会にて法律を制定し、
 その実質執行部門である内閣にて政令などの閣議決定事項を決定し、
 その代表である首相に緊急時などの首相専権事項があります。
 それぞれ後でチェックされます。

 多数決、代理と言ったものの役割はここまでです。

 過去に述べた通り、各議論の場では、たいていは、自分の方が正しいと思えるところと、先方の方が正しいと思えるところがあります。
 前者はまぁいいとして問題になるのは後者の取り扱いです。
 激高だと負担もなかなかですからこれはそれほど長くはないでしょう。

 問題は負担があるにも関わらず割とズルズルやられやすいものです。
 それが少数(マイノリティー)差別で、たとえば、肌の色がとか、性別が、とかです。
 とはいえこれは最近は表立ってやりにくくなっています。

 その結果、状況はかえって悪化し、差別の対象は、あろうことか「正論を述べられる者」になるという有り様です。
 かつてはあれは「反抗期」との呼び方でした。
 ですが今はそちらが主流となりました。
 このため、「社会」「大人」「コミュニケーション」と言った言葉がことごとく善悪反転状態で用いられています。
 
 もちろん負担状態です。本質は反抗期ですから。
 赤信号もみんなで渡れば怖くない、といった趣旨です。
 ですがそれは赤信号ではなく踏切かもしれません。
 踏切と間違える事例は一部少数、とか、踏切を渡ったけど大丈夫だったという自慢話などがありますが、結局自分が渡っているのが赤信号なのか踏切なのかは自分では気づけないでしょうからその負担からは逃げられません。
 なお間違えて踏切ではねられている事例は頻発中です。
 でわかっているのにやめられていないので、「依存症」状態です。「反抗期」「同調圧力」などでは響きに違和感を覚えます。

 タイトルの症状名が長くなってしまいましたが、長くなればなるほど悪化しているものです。
 もちろん、依存症集団の方々で成りたっている「自称社会」は実は「路地裏の不良」か「泥酔の集団」ですのでなかなかにご迷惑です。
 泥酔状態の者から、交流がとれない、などと言われても、これはこちらの台詞ですし、隔離が要るのはどちらかも考え直しでしょう。
 例えば、パチンコなどは合計で見ると必ずマイナスになるにもかかわらず、一度プラスが出るとそれにつられて続けてしまう心理を狙っているそうですが、概ねこれと同じで、依存症は依存症であると気付くとやめられやすいです。いずれにしろ治療が必要なものです。

 16.12.27加筆
 さて、謗法というのはオハコでわざわざ別書きで警鐘が鳴らされるレベルのかなり困った行為です。ちなみにこの別書きの部分は親鸞の補足で「ついカッとなって言った失言」という扱いになっています。
 末法の場合この謗法が充満することになります。歎異抄というタイトルからもわかる通り、末法の世の者たちはそれに対し悲嘆や憤慨を込めて伝教します。人は本来感情移入の生き物ですからその悲嘆や憤慨のこもった伝教によって末法対策がなされてきました。
 現代においては、これらの過去の対策を、ことごとく、「キモい」「プゲラ」「ビョーキ」と頻繁に発言し全滅させる重度の症状が発症し流行しています。「交流ができない」と言われますが、人の感情が通じないのですから確かに交流できません。人の悲嘆や憤慨といった感情に、人が本来するはずの感情移入できないうえ、その相手を「コミュニケーション障害と言ってしまう障害」の持ち主が多くいます。反抗期の謗法行為が「社会」にレベルアップしているのですから、これは過去の世の者たちが末法対策としてなしてきたことの想定の範囲外となり、彼らが想定していなかった第二末法とでも呼ぶべき状況であり、この症状への対策と治療が追加で必要です。
 

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