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随並189 犯罪心理学×社会心理学×犯罪社会学=犯罪社会心理学
 そもそもこれらの学問の名称すら私は知らなかったわけですが、私が昨今独自に追求しているものはどうもこれらのどれにもあてはまらない側面を持っているようですので、この3つを合わせてみます。

 犯罪心理学の場合、とくに、特異な事件が発生したときに、その犯人の性格や環境などを分析することが多いようです。
 但しこれは、極端にいえば、「被害者は加害者になりやすい」みたいなことを言っているようなもので、そういうこともあるといえばあるといえるものの、決めつけるとなかなかに失礼なものです。
 もちろん、「自分が受けた苦しみを味あわせてやる」という動機自体はあるでしょうが、これは適応機制(いわゆる「現実逃避」「幼児退行」などに分類されるものよりも少し広義に、「一見正当性がありそうに見えるが実は解決になっていないもの」という意味で用います)で、そうではなくて、「こういったことが起こらないように、罰則の強化や教育の充実などの署名運動をしよう」といった解決法を見出す人だっているでしょう。

 一方犯罪社会学の場合、例えば、万引きは、過去には貧困でありかつ生活保護などの選択肢を見いだせなかったがための犯罪が多かったが、最近は遊びでやる人が多い、といったものですが、これはこれでその心理まではなかなか踏み込んでいなさそうです。

 というわけでこの2つを混ぜてみます。

 過去、識字率の低い時代には、そういった教養のない者によって泥棒行為が頻発していました。
 そこで学校ができ、人々は文字を読めるようになりました。
 今でも途上国の子どもたちは支援によって学校に行けるようになるととても喜んでいます。
 こうしてより安心した社会ができ、泥棒は減りました。

 ところが今度は校舎の窓を叩き割る連中が出てきました。
 これは分析が必要です。
 まずは、「文字が読めるようになる、学ぶ喜びがあるじゃないか、彼らはそれを破壊し、社会を壊そうとしているのだろうか」となりますが、どうも違う、との見方が浮上します。
 ここで「(それまでももちろんありはしたが)反抗期」という概念が浮上します。
 彼らは、その割られた校舎の窓は後で修復されるということを無意識のうちに知っていてそれをやっており、また、もし割られた窓がそのままにされるというような状況であればそうしたことはしない、という概念です。

 さてさらに社会が発展し安定度が増しました。すると今度は、校舎の窓を叩き割ることができなくなりました。そこで彼らは、職場など、とくに、100%傷つけた側が悪いことには変わりがないのですが、やむを得ずの人を傷つけやすい環境において、「外では校舎の窓を叩き割ることもできず大人しくさせられていたがこここそは自分の本当の居場所」といわんばかりに、過剰指示(パワーハラスメント)を乱発することになります。また、場所は反抗期グループではなく職場なので、彼らの言い分も、「俺は反抗期なんだ」ではなく「俺は社会人だ」になります。
 反社会、という言葉があった通り、社会という言葉にはかつて正当性がありましたから、これは悪質かつ巧妙な手口、心理です。この場合になると、社会という言葉について、新たに、「低次社会への社会適応能力は、高次社会においては反社会能力」になるということになり、低次と高次に分離することが必要になります。

 また表立っての故意がしにくくなったため、罪科発生という劣等感に対する適応機制として、未必の故意や有認識過失が中心になりつつあること、共有性や、善悪での判断から、護身術の強弱、換言すれば、防犯ブザーの所持の有無での判断へのすり替えなどがそれらに加わりより悪化されることなどは188にてすでに書いた通りです。

 こういった、犯罪の手口や心理の巧妙さは、表向きの社会が安定成長をして犯罪をしにくくなる際に増していくものですが、社会が安定成長をしていないよりはする方がいいですのでやむを得ない側面があります。
 しかし、というか、そのため、これを分析する力もより高度なものが求められ、またそれができる者も残念ながら減ります。現に、社会という言葉の悪質なすり替えなどは、それに気付かず、そのまま流されてしまう者が多数発生している状況にあります。
 表向きの社会が進化成長するにつれて、犯罪の手口、心理も巧妙化していきます。倫理的にはかえって悪化しているとすら指摘できるかもしれません。「護身術の強弱」によって犯罪者を制圧することも必要かもしれませんが、一方で、ここで求められているのは、そうした、社会の進化成長に合わせて巧妙化していく犯罪心理の分析であり、そこに必要なものとは、「善悪の感情移入、思いやり」です。そしてこれ自体も、犯罪心理の巧妙化につれてより高度になっていくことが求められます。そして、成長進化を続ける私たちの社会は常に、その、高度な犯罪心理の巧妙化についての分析を強く必要としているといえます。昨今の、いわゆる強そう、オープン、等と言われる者は、実は、逆にそうした心理に閉じこもっていることが多いのですが、この溶解が私たちの社会に求められているといえるからです。

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