插画・漫画投稿&SNS网页 - ART street by MediBang

雑記A:LS及びHSPの公表とそれについての若干の考察 ~本来無一物感得者差別…
1、私の特徴

 過去に各所にて例示してきたものの一部、とくに特徴について、実は自分自身のことです、と公表します。
 それは『ロングスリーパー(長眠者、LS)』と、『ハイセンシティブパーソン(HSP)』の二つです。
 現状、前者は疾患・障碍との定義に至っていません。後者は『治すべき疾患』となっています。
 この両方について私は異論を持っています。前者は『身体障碍』、後者は『被差別者』であると考えています。
 LSはそれそのものが直接健康に影響を及ぼすとは考えにくいです。とはいえ一般的な社会生活に合わせようとすると、間接的に問題が発生します。通常の人の一般的な問題のない睡眠時間が、LSにとっては睡眠不足状態となります。またリズムの調整の見通しも立ちません。このため体調などの健康被害、及び、虐待にも近い睡眠不足が常態化するため、心身への影響も考えられます。
 LSが後天的に連動してHSPをもたらしている可能性も考えられます。
 HSPは感受性の強さを指します。
 このうち物理的感受性は例えば良い日差しを受ければ心地よく感じやすく、災害のような天候であれば危機管理が高まりやすいといったものです。
 一方の心理的感受性はとりわけその思いやりの強さです。
 例えば渋谷暴徒の現場に居合わせたときに、一人であっても、あれをやめるべき、との趣旨の発言をしがちであったりします。
 HSPはまだまだ医学的にも知られていないことが多く、うつ病等と混同されることが大半です。
 現に私の診断上の病名も遷延うつとなっています。このためネットでのセルフチェックなどを利用するしか方法がないのですが、そちらでHSPと診断されました。
 考えましたが、後戻りができない、パワーリプレイスメントを受けやすいといった危険性などもあるものの、これの該当者が自分自身であることを広く示した方が、かえって、本当の社会人にとって有益であると判断しました。
 ではここで現状のHSPについてもう少し考察してみます。
 まず、『観想浄土(コンテンプレイティブピュアランド、CPL)』に気づくことは人にとって確かに大切ですが、それはパラドックスであり、諸行無常と相反し、非合理なときであっても自分を優先しがちであるとも言えます。
 人の成熟した思考の一つとして『本来無一物(オリジナリームイチモツ、OM)』という感得があります。
 また、それには至っていないものの、それを予見し、それを回避しようとする感得もあります。
 彼らの成熟さからすれば、それ以外の未熟さは、いかに『社会人』、『コミュ力』など、美辞麗句を用いても明らかです。
 彼らの特徴の一つでもある、対人尊重から来る『対人尊重緊張(インターパーソナルリスペクトテンション、IRT)』を、普通の行為でもあり、かつ成熟した者の行為として提唱します。
 現状HSPとされている彼らは、それぞれ、感得者(ゴットパーソン、GP)として、『本来無一物感得者(OMGP)』、『本来無一物感得予備者(OMGRP)』と呼称するべきと提唱します。
 また、精神疾患に代わる、それと同等の社保として、東名人らの跋扈する平成後期を中心とするの暗黒時代の現代においては、これらが、『本来無一物感得者差別』、及び『本来無一物感得予備者差別』との概念を抱くべきと提唱します。もちろんHSPであっても本来無一物と無関係な者もいますのでHSPの概念も残すべきですが。
 彼らが有している寂しさなどは、特異な経験豊富により、自分の状況を理解し、敬意を抱いてくれる者はいても、なかなか同じ立場の者がいないことに起因します。あるいは、同じ立場である可能性が高いにもかかわらず、その殆どが、東名人らによる、病人との洗脳が抜けずに、お互いに過剰攻撃をし合ったりすることによります。
 同じ趣味でもめったに合わない相手より、挨拶程度であっても高頻度に会う、またそれは文通やバーチャルではなく直接の相手がいた方がより楽しいと思います。もちろん前者を否定するわけではありませんが。さらに、同じような心境の者にも出会えればより楽しくなると思います。



2、私が経験したこと

 本来無一物自体は、学生時代、駅から徒歩30分の山の中で修行僧のような状態になってしまったために感得しました。当初はうつ状態となり(それからの脱し方は割愛します)、このため実質休学状態となりました。
 卒業後、当初は就業主体でしたが、本来無一物感得者であることが影響し、圧倒的多数は理不尽な事由による不当解雇等ですが、解職が続きました。09年からは就業の他、作業療法所への通所等が主体となりました。
 なおブログや電子書籍を中心とした政治活動、著作活動も08年から開始しています。
 そして復職に向け、18年より支援就労を開始しました。
 ところが、人手不足で、しかも支援就労の美名を看板に掲げている事業所であっても、現場は『気に入らない者は『能力ガー』を事由とした(本当はこれは事由にはできない)自己都合』を次々と繰り返していました。また事業所でも祝い金を賃金に加算するなど虚偽の届け出もハローワークにしていました。
 一例を挙げましょう。
 台風で列車が止まりそうな予見が発生しました。このとき事業所より、「いきなり欠勤判断とは『社会人』として不適切である。いったん相談とすべき」との趣旨のことを言われました。
 実は私は言われた通り、相談としていました。そのとき、「列車の運行状況など事業所は把握できない、自分で運行状況を確認し、自己判断すべきで、それができないのは『社会人』として不適切である」と言われていました。
 つまり私は職務能力はすでに十分備わっており、それを事由にできないからこそ、こう言った手口を用いてくるわけです。これは明らかに心理的虐待です。
 まずは従業員らに不適切な報告の削減を要請しましたが改善されません。これを事由に解職とする手口は見えています。
 決定的なのは紹介支援施設の権限で、『労働虐待』は『児童虐待』のように、通報を受けても立ち入り検査ができない、即ち実効的抑止力がないということです。
 このためやむを得ず、遺憾ながら、虐待からの避難として、再度、作業療法所への通所を主体とすることになりました。していることは両者では殆ど変わらないのですが、生産か否かを事由にするにはあまりに差が大きいと考量します。



3、私が感じたことと決めたこと

 前掲のセンシティビティのうち、とりわけ思慮深さは重要です。ここではこれを『マインドセンシティビティ(MS)』と呼ぶこととします。
 この、健常者たちの持つ『マインドセンシティビティ』にとっての敵が、理を欠いた者の行為です。こういうとそのようなことはめったにないと思われがちですが、実はそうでもありません。
 人は誰でも自分が正しいと思いたいものですので、自分に理があると思っているうちは、あくまでロジカルに話します。
 問題は自分に非があると感じてしまった場合です。この場合は、結局は、女々しく謝ることしか修復の方法はありません。とはいえそれができる人はあまりいません。また謝罪によって修復どころかかえってそれを口実に過剰補償を求める者も多いです。ここでペダルの踏み間違え、即ち『善悪から(集団などの)強弱へのすり替え』が発生します。いわゆる『○○(全く無関係)のくせに』というものです。
 これについてここでは、『マインドセンシティビティ』の対義語、対義的行為として、つまり単純に疾患的な行為として、力への置き換え、すなわち、『パワーリプレイスメント(PR)』と呼ぶこととします。私自身を含め、それが下位の選択肢であると気づいているかいないかを問わず、これはよくやってしまうものです。
 とはいえこれだと人間として思考停止のゾンビ状態です。なお悪いことにここでさらなる自己正当化、『パワーリプレイスメント』の補強の言葉として、先ほど同様、『社会人』、『コミュ力』と言った不気味な言葉が跋扈していることはすでによく知られていることです。
 この状態の者には正当防衛しか選択肢がありません。もちろんそれは遺憾なものです。また労働虐待をはじめとする各種虐待などの行為は、単純に、それに対する抑止力の不足が原因です。即ち単なる無秩序です。そのような場所において、自己正当化のために、『能力』、『適応』などと言った、こちらも同じく不気味な言葉をいくら用意しても、悪質なのはどちらかははっきりしています。
 健常者たる、優れた『マインドセンシティビティ』の強いものほど、この疾患状態である『パワーリプレイスメント』は、それが大きければ大きいほど、それは依存できる、安心できる存在などとは決して思えず、ゾンビワールドですし、単なる危険なもの、自然災害としか思えません。『マインドセンシティビティ』を大切にするとともに、『パワーリプレイスメント』の脅威には、単純な自然災害のような処理が必要であると考えます。
 そして、猛犬を市街に放つと大変なことになりますが、それに鎖が要るのと同様、残念ながら、人にも、話し合いで解決できない相手には、ルールや規則といった抑止力の鎖が必要になります。たとえ猛犬のような者が少数であったとしても、それがないと、市街地はたちまち彼らの支配が優先されがちになります。
 とはいえこれは奇妙な光景であるとも言えます。多くの人が、心では、こんなよくないことはしてはいけない、と思いながら、体では逆のことをしているのですから。
 もちろんその場に、ちょうど印籠のようなものを持ち込むことは実は容易です。100人中99人がおとなしくしていても、1人が通報、告訴すればおしまい、といった判例も数多くあります。ですが強制力も強いため人間の方策としてはこれは相対的に下策と言えます。
 なぜなら比較的多数が上記の、心と体のギャップ行為をしているからです。
 もちろんこれは精神衛生上疾患状態です。疾患だからこそ辛さや悲しさを感じるのです。
 少なくとも、相手への敬意などから来る緊張などによる、所謂『コミュ障』は病気でも何でもない健常者のすることですが、それに比べれば、上記のような、いやいやヘコヘコするような行為は何十倍も病人のする行為であると言えます。
 比較的多数が、心ではこれはよくない、こんなことはやめたいと思いながら、お互いに攻撃をし合っているなど、滑稽ですし、それで溢れかえっているような場所は滑稽な集団病棟のようでもあります。もちろんこれを『日本病』などと厚かましく広めていただいては困ります。せいぜいこれは『東名病』ですし、その範囲はさらに削減が必要と言えます。
 何しろこれは、流れに流されない、本心で持って、多数決で解決する可能性のある案件です。もちろんその状態は、お花畑でも甘えでもない、最低限度の相互人権の確保された状態でしかありません。だからこそ上述の印籠を出す方法を相対的に下策と述べたのです。
 優れたセンシティビティを持つ者は、自然にそれが備わっているというより、自発的にそれを持っている、ということが多いです。それは単にその方が精神的に落ち着くからでしょう。その内容は、相手が楽しんでいるときは自分も楽しいと思い、相手が悲しいと思っているときは自分もそう思うというものです。優れたセンシティビティを持つ者が感じる悲しさの中でも、上記のような滑稽な集団病棟のようになって、心で泣いている連中を目にした時の悲しさは、相当大きなものであると言えます。
 あらためて、『東名病』について、現段階での特徴を挙げてみます。
一、秩序が保たれなくなった途端に、一部から発祥し、一気に広範囲に感染する。
二、被害者側が冗談と思う範囲を超えて、『パワーリプレイスメント』、すなわち、力をもって理となされる(「○○のくせに」等。なおこの場合の○○の内容は、もはや相手の特徴でさえあれば何でも構わないことが多い)。
三、力の内容は基本的に集団であることが多い。
四、それが楽しいか苦しいかの区別のついていない者が一定数いる一方で、こんなことはしたくない、苦しいと感じていながら逆音で参加している者が一定数いる。このため、本音の多数決で決めればいつでも解決可能な可能性があるにもかかわらず、誰もそれをしようとしない。
 とくに四について補足すれば、これはもはや、『コミュ障』等と罵られている直接の被害者と比較して、どちらがより健常かも見直さなければなりません。被害者になる方がまだ上策ですし、その方がかっこいいと判断できますし、その逆の方が疾患の度合いは大きいといえます。
 では果たして、平成後期以降の暗黒時代の現代、精神疾患にかかっている方はどのくらいいるのでしょうか。
 高齢者はもちろん、そんなのは1割に満たない、というでしょう。
 では果たして、高齢者の好みそうな、『若者のクルマ』のTVCMに騙されて、自分は一部の愚かな精神疾患者、と思っている者の比率はどの程度なのでしょうか。本当の比率を、本当に素直になってみてみましょう。
 但しまず、ここから、元から規則という鎖で繋ぐしかなかった、大半が人間の皮を被った、高齢者の好みそうな、体育系は、母数、子数としても、人間でない以上除外します。母数は、ただ単に、体育系などではない、私たちが日常と呼んでいる、基本的な相互人権の意識のあるものに限ります。もちろんそれがもはや、体育系の跋扈が原因で、日常どころか理想郷扱いになっているかもしれませんが。
 潜在的なものも含め以下の環境の者は精神疾患です。そもそも精神衛生が保全されていません。よって、これらは全てだから全部潜在的精神疾患として扱って何もおかしくありません。

〇 月残業が不法
〇 従事勤務内容自体が不法(パワハラ、「能力ガー」等)
〇 逆に週4,5日並みの共同作業が困難(但し生産か否かはあまり関係しない。なお共同作業の内容が大幅に異なっても、挨拶などの若干の交流があることに意義がある)
〇 善悪ではなく、それを方便として、声の大小で、すぐに離別させられる恐れのある環境に置かれている者(ワーキングプワなど。体育系などの非人間を除き、こんな環境であれば、多少の叱責すらとんでもない脅威と感じて当たり前です)

 高齢者へ。これの比率は1割ではありません。少なく見積もって若者には6割です。
 加えて言わせてもらいましょう。
 これだと少子化対応は、『1人の配偶者、2人の子ども』が幸せ。というのが無意識のうちに成り立たなくなります。
 年金老人のような環境を偶然手に入れられたとしても、これだと、あなたは子どもを4人設けでもしないと、無意識のうちに幸せと感じることはできないでしょう。

〇 配偶者が専業主士でなくなった
〇 後ろに配偶者の見えないコンビニ店員が爆発増加した
〇 選挙の投票時間が18時から20時に延長された

 不自然、不気味な状況や政策はほぼ同時期に始まっていました。
 言うまでもありませんが、私たちの生活水準はスマホ以外何も変わっていません。
 当然ながらこれは、「厚生・労働」はもちろんのこと「交通・経済」も根元から見直さないといけない内容です。
 本朝には『人の悲しみを我がこととする』という言葉があります。これは自発的促進を促したものです。そして本朝はこれができるものほど優れた人物とにみなしてきました。なお、これが所謂『明治・東京奠都レジーム』によって壊滅的な打撃をこうむったことはいうまでもありません。
 一方、東名及びその方面である東日本ではない、西日本には、最澄の時代から、『一切衆生悉有仏性』という言葉がありました。
 HSPとは即ち、『人の悲しみを我がこととする』ことを自発的にする度合いの者のことでもあります。もちろんそれは当たり前の日常の光景です。
 一方、人に悲しみを見てけらけら嗤う者はHSPの度合いの低い、いわば低次元の行為です。
 とはいえ、HSP、『人の悲しみを我がこととする』ことは、たとえ周囲からどのような侮蔑をされようとも、最低限の人間の行為として自発的に行われることが多いですが、さらに一方、『一切衆生悉有仏性』という言葉が示す通り、この行為は本来人間として自然に備わっているものです。
 よって、この問題は、人々にとっては、特別の精神疾患者どころか、人々の『共有問題』であるとの認識が不可欠です。
 もちろん、そこに、学習、消費、交流、そしてとくに『生産活動かどうか』などの区別を設けることは愚の骨頂であるといえます。
 逆に言えば。HSPの高い人間は、通常よりもはるかに優れた人間ですので、決して、どれか一つをとって、自分はみんなから嫌われている、などと思わずに、生産、消費、学習、交流などを問わず、そこに所属することは、はるかに優れた人間であると言えます。
 『晴耕雨読』という言葉があり、様々な解釈がありますが、個人的にこれには、晴雨というより、平日と休日というメリハリ、自己ペースの確保による健康的な生活というニュアンスを感じます(但し個人的には『晴耕雨書』ですが)。
 そうした、故事に基づく、普通の穏やかな日々を私はこれまで送ってきましたし、これからもそれを変えるつもりはありません。ですがすると、突如、一過性の、少子化をはらむため長続きすると思えない、『晴耕雨耕』という、長時間労働等の波が、『造反有理』のように押し寄せてきたという印象です。そして引き続き『晴耕雨読』を続けていたら、規模は異なりますが、分子か、中国の人権活動家のような扱いを受ける者が続出した、といったところです。
 こうなると、僭越ながら、私の『レスの方針(レス方)』は、かの『零八憲章』とも比定できるものではないかとも客観的に指摘します。もちろん迫害の度合は異なりますが、身体的迫害はともかく、精神的迫害は同程度でしょう。とりわけ日本の場合集団重視のため、集団から外れている、というだけでの、集団嘲笑などの精神的被害は常軌を逸した病的なものというほかありません。
 あてにならない『東名人』を除く健常な日本人が、いかに、日本版『零八憲章』に並ぶ各位の主張や、僭越ながらこの『レスの方針』の大切さに気付くか、それとも、そんなこともできないゾンビのようなおぞましい病的日本人を選ぶのかが、それがいかに日本人の風格の有無を現しているか、それに気づくべきであるといえます。
 またあるいは、『落ち込むこともある明るい普通の主人公』の周囲に、いつの間にか、『倉庫裏にたむろしているはずの不良が大量発生していた』といったところでもあります。
 こうなってしまうと、『日産、東芝、三菱自』が私たちを覆っている、あるいは、『JR東海―JR北海道』のような格差を仕方ないと放置する、平成後期以降の暗黒の現代はもはや、『立派な経歴の人のほうがかえって胡散臭い』、そして、『いじめられっ子が、いじめられているからこそ自分に自信を持ち、そのことを誇りに思う』時代がすでに到来し始めていると言えます。
 そして、前掲のような、驚天動地の凄惨な実態の情報や、私自身が実効的抑止力の整備により強く携わることは、真の社会人たちにとっては必要不可欠と判断されます。もはや私は一介のブロガーでいられる猶予はありません。『レスの方針』は、街頭によるオフ説明、youtubeによる音声説明も必要と考えています。



4、私の主張

 レス方(レスの方針)を、長文版は電子書籍サイトメディバンにて(無料 https://medibang.com/book/891711270342128760000025178)、ダイジェスト版はブログにて(目次・解説:https://blogs.yahoo.co.jp/t_finepc/71239000.html)掲出させていただいています。18.11.29現在、項目別では、

 合計:九四。
 内訳:一一〇〇番台「一般」三四、一二〇〇番台「独庫」一二、一三〇〇番台「別格」六、一四〇〇番台「京域関連」二〇、二一〇〇番台「重要」(労働/厚生/交通/防災/防衛)一一、三一〇〇番台「特別重要」(リニア・新幹線・地方交通/労働/厚生)一一、となっています。

 このうち京域関連の中でも特に重視している一四〇一と、三一〇〇番台についてタイトルを挙げますと、

 一四〇一:京都市内交通政策(LRT/新駅/新線) ~公共交通依存度合いがほかの都市と比べ大幅に高い、新駅一〇駅程度、今出川・西大路LRTなどの整備が必要~

 三一一一:五等級七項目の政策及び八項目のその効 果から成る京九東六結集新幹線及びその双京橋渡リニア整備による、国策未曾有逸失利益発生回避のための緊急重要是正素案進言 ~京都駅以外に西日本のハブは見当たらない、トンネルを掘る手をへし折ってでもリニアは京都駅を迂回し、また東京駅に延伸せよ~

 三一二一:消費労働循環社会型統制経済(一部職種を除く最低賃金倍増及び営業統制) ~少子化と勝ち組は子供が四人いないと本当の満足は得られないしそれはできない、やむなく屍の山を築くことになるとしても一部を除き最低賃金を倍増し、代わりに便利なサービスの追求はやめよ~)
 三一二二:定期昇給禁止、寿退社削減目標設定及び男女共同参画の戦略的後退
 三一二三:労基法性悪説強化、割増・休暇の新設拡大
 三一二四:労働相談所(労働警察)・労働110番 ~児童虐待に比べ労働虐待が改善されない、監督署権限を児相と同等以上とせよ~
 三一二五:過失罪・過失による行政処分・懲戒の大幅廃止、自動車運転を中心とする故意罪の強化
 三一二六:経営難を事由とする吸収合併(グループ会社編入化を含む)の一部強制

 三一三一:最低居住基準と住宅扶助の未連動対策
 三一三二:複世帯控除導入
 三一三三:生活保護認可高価格製品更新費用設定

 としています。



.

显示翻译