考える事と難しく考える事の境目
難しく考える事って絵に悪影響を及ぼすと思うんですよ。
絵を描くときに、例えば人を描くなら骨格がどうとか筋肉がどうとか
「考えて描く」事がとても重要なのは分かるんです。
ですが「難しく考える」のは要は、「自分の絵が理解できていない」状態だと思うんです。
僕はこれがどうもこれみたいで、要は「完全な記号」を欲しがってしまうんです。
融通が利かず、「ここは絶対にこう!」っていう常に完璧な正解を出したいわけです。
そしてその正解というのは漠然としてしか考えを出しておらず、「数うちゃ当たる」で
線を引きまくり、その内良かったものを抽出してそれを軸に描くのですが
これが迷い線の多い原因だと思うのです。
融通が利かない自分をそろそろ終わりにしたいですねぇ…。
僕の絵柄とは何なのか。
たぶんはたから見たら昔と大して変わっていない絵だと思うんですけど、僕は未だ自分の絵柄と言うものに出会っていない気がするんです。
変に知識や真似をすると余計にわからなくなる…僕はまず何をすべきなのでしょうか。
絵を描くときに、例えば人を描くなら骨格がどうとか筋肉がどうとか
「考えて描く」事がとても重要なのは分かるんです。
ですが「難しく考える」のは要は、「自分の絵が理解できていない」状態だと思うんです。
僕はこれがどうもこれみたいで、要は「完全な記号」を欲しがってしまうんです。
融通が利かず、「ここは絶対にこう!」っていう常に完璧な正解を出したいわけです。
そしてその正解というのは漠然としてしか考えを出しておらず、「数うちゃ当たる」で
線を引きまくり、その内良かったものを抽出してそれを軸に描くのですが
これが迷い線の多い原因だと思うのです。
融通が利かない自分をそろそろ終わりにしたいですねぇ…。
僕の絵柄とは何なのか。
たぶんはたから見たら昔と大して変わっていない絵だと思うんですけど、僕は未だ自分の絵柄と言うものに出会っていない気がするんです。
変に知識や真似をすると余計にわからなくなる…僕はまず何をすべきなのでしょうか。