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ネットは広いか狭いか
私のリアルでの顔は様々です。
 相手が尊敬できる相手だと緊張して冷や汗だらけになり、内向的なイメージを持たれます。
 一方で、親しくなれると、より楽しくいたいとの気持ちが高まるので、饒舌なイメージを持たれます。
 また、幼稚な相手には上から目線になるときもあるので、よく怒っている人というイメージを持たれます。

 つまりかなりいろいろな顔があります。
 好きなキャラでいえば、しいねちゃん、さとりさん、イカちゃん、結衣ちゃん…? 
 彼らのファンの方にはすみません--; もちろん「あれは自分にはない」という側面もありますが。
 なお自分の一次キャラについてですが、私も彼らとリプをすることもありますが、自分と似ていて話しやすいどころか、むしろ緊張してしまい冷や汗だらけになります。一応彼らに神や未来人のような視点を持っているというだけで、また次元が異なるというだけで、同じ人間ですが。なおイタコしてみると、彼らは、タレントに比べて特定の側面しか見せないということはありません。友人関係などと同じくらいです。

 さて、リアルではちょっとした日常会話などが中心で、政治経済の話なども一瞬なことが多いです。
 一方ネットでは、これもそうですが、長文で深淵な日記を綴ることが多いです。

 このどちらも私にとっては人とのかかわりあいですので大切ですが、優劣をつけると、中身が薄いにも関わらずリアルです。どうしてでしょうか。

 私は作家の都合上実名です。
 ですがツイッターなどでも、京都人か否かにかかわらず表垢と裏垢を持つのが一般的と言われています。
 ネットは文章での日記帳や論文です。ではそれらは非公開とすべきものなのかというとそうではありません。
 論文と述べたことからもわかる通り、不特定多数に向けて書かれた芸術に相当します。
 ここでは、いくらリプをくれる相手がだんだん固定化してくるからといって、誰かに向けて書くことを意識することは適切とは言えません。ちょうど絵画や音楽のようなものです。文章もそれを書くだけでオタ芸です。
 実は絵を描くことに夢中になることなどは過去には只管打座、主客未分などと言われ、周囲の声が聞き取りにくくなるものの、重要なことと言われてきました。オタ芸など揶揄する言葉があるのは戦後武蔵野主義の現代だけです。
 
 ただこれは個展やコンサートのように不特定多数に向けてなされているものです。
 このため作者と個別のファンとの関係はわりと薄いものになります。
 ネットの日記、論文や、ツイッターでのつぶやきも、芸術家と個別のファンとの関係のようなものになりがちです。ネットはダメ、などとは言いませんし、むしろ重要ですが、よりリアルの方がいいと言ったのはそのためです。
 タレントなどが自分の一部の側面だけを見せるとすれば、ネットでの文章の執筆は自分の側面をより広範囲に見せる芸術活動といえます。
 もちろん、日記ですから、裏垢です。特定の誰かに読まれていることを意識してはいけません。また逆に身近な者が日記を読んだりするのも、ストーカーなみに悪意しかないので厳に慎むべきことです。

 とはいえ完全にリアルとネットが、タレントのTVと家並みに別かというと、実はそうでもありません。私もmy日本のOFFや政治家の選挙活動のボランティアなどをしばしばしますし、饒舌な人物が自作のシリアスな物語をごく一部の友人に見せたりすることもありますが、それと同じで、本人が指定した相手に限り、ネットでの日記などの執筆に際し読まれていると知っていても不特定多数に向けて書くことに何の影響も与えない場合に限り、ネットとリアルとを併用する関係というのもあります。

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